平成29年登山記録

白馬岳―朝日岳―雪倉岳―栂海新道―親不知

1日目  9月6日、朝3時30分、自宅よりマイカーで出発、高速道路に乗ると、猿倉までは4時間30分ほどで着いた。 雨である、雨具を着て、持参してきた半長靴を履いた。ザックにはムーンスターの短靴をくくりつけて、8時30分に出発だ。駐車場は半分も駐車していなかった。歩き出すと直ぐ上は猿倉荘である。 外国人の登山者が4~5人、登るかどうするか相談をしているようだった。トイレを済ませていざ出発、雨は降るのを、強めながら降り続く。 白馬尻先でコースの上は、沢水が滝のように降り注いでいた。一段下へ下り濡れるのをよけて進む、いつもの登山靴であったら、この辺で靴の中は、雨でズブズブとなっているはずだが、今回は半長靴が威力を発揮して、濡れることはない。其のうちにコースは雪渓の上へと替わっていった。 雪渓上はすべることは無かったが、雪が9月となると、結構な量が解けて、足場はざれ場となっているところが多かった。 砕石状になり雨で流れるため、足は滑り落ちて歩きにくい。コースの目印を無視して雪渓上を歩くことにして進む。上から下りて来る登山客は、雪の解けたところを歩いて来て、出るのが大変なようだった。 クレパスの割れ目もいくつも目に付いた。岩石が転がってこないように、崖から離れて歩く。最終の雪渓が30cmほど口を開けていた。よく見て歩かないと“危ない危ない” 雪渓を抜け、急傾斜の岩場歩きとなった。雨と一緒に風も吹き始めた。休むところも少なく、口に食べ物を入れられないで歩くほか無かった。 そうこうしているうちに、やっと白馬頂上宿舎が見えた。 今夜の天気を尋ねると、ろくな返事が返ってこなかった。黒板などの張り出しも無いので、ここに泊まることにした。 素泊まり6800円で、部屋に入り着替えて談話室に行くと、電気も消え、火も燃えていない、 寒いので、勝手にストーブに点火してテレビをつけた。 天気予報を見ると明日はもっと悪くなるようだ。 宿泊客は、私1名のようだ。携帯電話の充電を100円払って頼んだが、97%しか充電できていない。 100%までサービスしたらというと、後100円を出せという。 問答していて、嫌気が差し結構ですと答えた。 1日目の歩行時間は、5時間30分ほどだった。7時過ぎに就寝した。 2日目  9月7日 朝十時近くに、20分程上にある白馬館に移ることにして出発した。 白馬館では少し早すぎたので、入管手続きは11時だと告げられた。30分ほど待っていると、時間前だが手続きを済ませて2号館のほうを案内してくれた。 2,3号館、一緒の談話室には12~3人が、本を読んだりテレビを見たりとしていた。午後になると、其のうちに外国人のグループが2組ほど入ってきた。 夕食は5時からとのことだったが、私は素泊まり(6800円)なので、5時近くから自炊の準備をした。 まずビールのロング缶を800円で購入し、持参したつまみを食べながらテレビを独占した。 データー受信に切り替えて、そのまま付けておく。ビールは終わり、ワンカップの日本酒を飲みながら、自炊室でお湯を沸かした。 荷物が軽くなるようにおかゆなどの重いものを先に食べた。 其の頃には食堂で食べていた同宿客も、談話室に戻ってき始めた。外国から来た方は日本の天気予報が、良く分からないようであったので、少し教えてあげた。 明日は天気が昼過ぎになると、回復する予報であった。午後7時近くになると皆居なくなり、残っていたのは香港から来ている、若い男女のグループ5人ほどだった。 話が通じないので、声をかけたが諦めて部屋に戻って休んだ。 明日の朝は5時出発の予定で就寝。 3日目  9月8日 朝5時出発、予報では曇の予定だが小雨が混じっている。雨具を着て、ザックカバーをつけて小屋を出た。周りはガスがかかっているので何も見えない。今日は朝日小屋までの予定だ、歩行時間は9時間ほど。 10時位に、一度太陽の光が差し込んできた。日を浴びると、かじかんでいた冷たい手に、ぬくもりを感じることができた。30分もたたないで、またガスに包まれてしまった。 水平道の途中で、登山道の修復や変更工事を行っていた、労働者に出会った。声をかけると、日本語が少し変なのに気づいた。どうも外国人のようだった。ご苦労様といって分かれた。 午後2時過ぎ、朝日小屋に到着した。今夜は雨が降らないのをわかっているので、テント場を借りることにして、1000円を支払った。 持参したツェルトを、へたくそながら張り終えた。少し離れたところに、後から来た若い男性が、モンベルのテントを張った。 4時近くなったので、小屋前のテーブルを借りて缶ビールを購入し、夕食の準備を始めた。明日の分も含めて、ロング缶を2本調達した。 そうしているうちに若い女性(27歳)がやってきた。小屋主の話では母親から電話があったと言っていた。私の隣に座って話をしていたが、テント泊だというので、早くしないと暗くなってしまうと告げた。 見ているとあまり慣れていないようだった。4時過ぎに終わり、戻ってきた。私はビールと日本酒を飲みながら、持参したつまみで話しながら飲んだ。 どこまで行くのか聞いてみると、親不知から入り上高地まで行く予定という。荷物が大きいので、重さを聞いたら25kgだと言う。 山歩きの経験はと尋ねると、初めてのようだ。少し危険だろうと言って、他の経験を聞くと、今までクライミングをしていたと言う。ならば大丈夫かなと答えた。 そして15日間の予定で、どこへ行くのが良いかと聞いてきたので、白馬から唐松―鹿島槍―針ノ木―船窪小屋はランプの小屋として、知っているようであった。 野口五郎―鷲羽―双六―槍ヶ岳、或いは笠ヶ岳から西穂高へ登るあたりの話をして、危険箇所として不帰の剣、八方キレット、船窪先のナイフリッジのことを説明した。 そして荷物が重いので十分気をつけて行きなさいと話した。 明日の出発は私と同じ5時だと言う。5時過ぎになると寒くなってきたのでお休みと言って分かれた。 夜10時頃になると、寒さがジンジンと冷え込んできた。服を一枚重ねて、ズボンも帰り様に持参したものを取り出して、重ね履きとした。 午前2時過ぎには靴下も履かないと寒さが凌げなかった。 4日目  9月9日 4時に起き、ガスに火をつけようと組み立てて試みると、何度やっても点火できない。ガスの出口が湿っている。どうも、一般用の安いガスを、詰め替えて持っていったので、点火温度が合わないために蒸発しないようだった。 やむを得ず、フレーク状の乾燥食品を50g食べた。火を使わないでも食べられるもので、凌ぐことにした。 テントをたたみ、5時30分頃に出発した。隣の若い子は10分ほど遅れたと思う。朝日岳山頂を目指して歩いて行くと、木道の上は霜で色が白く変色し、滑りやすかった。  中腹近くで振り返ると、下の木道を歩く女の子が見えた。心の中でサヨウナラ気をつけてと、無事を祈った。  朝から天気は快晴で、周囲の景色が良く観察できた。写真を何枚も撮った。昨日もこの天気だったら良かった、と思いながら歩を進めた。 この日すれ違った登山者は3名だ。どうもアジア人のようで日本人ではないように感じた。3人とも自分のペースで歩き、前の2人は30代、最後は60歳ほどに見えた。  水場はいくつもあった。黒岩平の水場で500cc、北俣の水場が山荘前の最終水場なので、4リットルを確保した。 水場へ降りる途中でサンショウウオに出会った。4キロ増えた重みが肩にぐっと来た。 最終ピークの、犬が岳を過ぎると、目の前に栂海山荘が見えた。到着午後3時ころ、中に入る と先客が4人ほど居た。 栂海山荘は、小野建氏が築いた山小屋だ。亡くなってしまったので、山岳会で管理をしている とのことだ。 事前に予約電話は入れてあったが、テント泊でなく小屋泊りと変更したので、2000円を料金箱に入れた。 4人の内訳は、2人は友人同士で、月見酒をするために、お酒を沢山かついでやって来たとのこと、後の2人はソロで、トレランで30歳ほどの人は、上高地まで走ると言うことだった。 もう一人は良く分からない。夕暮れは晴なので、犬が岳山頂まで見に行くと言って、3人で出かけた。 私は酒を飲んで食事も済んだので寝ると言って小屋に入った。8時過ぎに目が覚めると外で話し声が聞こえた。 小便をする為、起きてみると、まだ2人は酒飲みをしていた。そして、30代の方も居て一緒に話をしていた。聞いていると、今夜早い時間にスタートをするような話になっていた。親不知方面に下るのは、私だけのようである。 2人組は坂田峠駐車場に車があるようなので、ゆっくりした時間で降りて行くとのことである。 1時間ほど月を見ながら話をした。10時前小屋に戻って眠った。 5日目  9月10日 午前4時に起床して自炊の準備を始めた。すでに30代のトレラン者は居なかった。 もう一人のソロの人が起きだしてきた。私と同じ5時に出発と言うことだった。最後の朝食となる。出来るだけ残さないよう、小豆ぜんざいと棒切り餅を火に掛けて食べた。天気は良好、白鳥小屋を目指して、下山を開始した。 途中で2人組、50歳位の登山者に出会った。どこからスタートかと聞くと、親不知からと答えた。午前0時出発で、朝日小屋まで一気に行くと言う。びっくりして脱帽である。 白鳥小屋に着くと若い男性が一人で休んでいた。20分ほど話をして別れた。どうも今後、何かのグループで来る、下見のように感じた。 ぬかるんだルートが続く中を下りなので歩を進めた。 坂田峠に着くと、舗装道路(旧北陸街道)がコースを横切っていた。ここから先はぬかるみが多く、いつの間にか蚊が体に止まり血を吸っている。かゆいので見ると止まっている。2時間半ほど、蚊に追い立てながらの山下りとなった。 息を切らしながらの下山である。やっと車の走る音が聞こえると、海が目の前に広がっていた。親不知観光ホテルの駐車場には、糸魚川市の行政バスが止まっていた。小学生の遠足のようである。 ホテルの脇を階段が、海岸に向かって80mほど下っている。ホテルの前の自販機で、コーラを買いそれを飲みながら階段を下った。 海岸に着くと、若いカップルがいたので記念写真のシャッターをお願いした。誰もいない海岸で、一人感慨にふけった。半長靴を脱ぎ、素足になって海に入り、疲れている足を塩水に着け、マッサージをしながら良く洗った。 3時を回ったので、観光ホテルの受付に行くと誰もいなく、呼んでも出てこないので、しばらく外で待っていた。すると予約を取っている宿泊者が、車でやってきた。やはり呼んでも出てこないので、外でしばらく待つことにしていた。 あまり出てこないので、ふただびフロントを訪ねてよく周りを見ると、館内電話で呼び出して下さいと書いてあった、9番を回し呼び出した。 入館手続きを済ませ浴室に直行しました。6日分の垢を流し、部屋でテレビを見ながらビールを飲んで、6時の食事を待つことにした。 フロントより6時に電話があった。1階のレストラン会場に下りてゆくと、数組のお客が食事を始めるところだった。 海の脇と言うこともあり、食事は海産物が主で美味しかった。とくにカサゴの塩焼きは、獲れたての様だ。美味しかった。食べる量は余るほどであった。朝食も7時30分よりで、ご飯は3杯分がお櫃に入っていた。 2杯の御代わりで、お腹がいっぱいになった。料金9800円、食事込みの宿泊料です。 親不知駅まで送っていただきました。 これからこのコースを歩かれる方がおりましたら、宿泊をお勧めします。 6日目  9月11日 今日は帰路である。 朝9時過ぎにフロントに行き清算を済ませると、他の宿泊客2名の方が外で送られる車の来るのを待っていた。少し早いが私も同乗することにして、ザックを、バックドアを開けて載せた。 1名の方が途中の道の駅で降りた。翡翠館の看板が出ている建物を見学するようだった。 9時20分、親不知駅到着、電車は9時40分発である。駅員は居ないので勝手に構内に入った。同乗者は3名であった。程なく電車はやってきた。初めての乗車なので、周りの景色を見るのが楽しかった。 片側は山なので何も見えません、海側だけを見ていました。10時頃、糸魚川駅に到着した、運賃を支払っていないので、ホームに立っていると、車掌さんがやってきたのでその旨を告げると南小谷駅までの料金910円を支払った。 白馬駅までは販売できないので、先で清算して欲しいとのことである。10時29分、糸魚川駅発南小谷駅までは川沿いの両側が山で囲まれたところだった。 列車は結構な時間をかけ走った。白馬駅へは南小谷駅で乗り換えです。12時7分発、白馬駅には3駅ほどあったが直ぐついた(料金240円)。 12時を回っていたので、昼食を先に食べることにし、暖かいラーメンが食べたくなったので、駅前の通りに出て探した。 辛口大盛りラーメンを注文したが、2玉入っていたので完食は出来ず少し残してしまった。美味しかった。食べ終わり駅前に戻るとタクシーが客待ちしていた。 この時期になると路線バスは平日、走っていないのでタクシーで、猿倉にあるマイカーまで行く他はありません。タクシー料金は3700円であった。  6日に停めた場所にマイカーは私を待っていた。直ぐ荷物を積み込み2時頃出発した。途中あまり休憩することも無く走り自宅には午後6時頃に到着した。

五日目

六日目

  四日目

初日は雨のため白馬で連泊

  三日目

  四日目

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