平成28年 北アルプス縦走
2016年7月24-28日 有峰ダム―太郎平小屋―薬師岳―雲の平―黒部五郎
折立登山口 →2:00→ 展望台 →1:30→ 五光ベンチ →1:30→ 太郎平小屋 →0:20→ キャンプ場 →0:40→ケルン →1:10→ 薬師岳山荘 →1:00→ 薬師岳山頂 →0:40→ 薬師岳山荘 →0:50→ ケルン →→ 0:30 キャンプ場 →0:20→ 太郎山 →1:15→ 左俣出合 →1:00→ 薬師沢小屋 →2:10→ 木道末端 →0:25→ アラスカ庭園 →1:00→ 祖母岳 →0:30→ 雲の平山荘 →0:25→ 雷岩 →0:30→ 分岐点 →0:30→ 日本庭園 →1:20→ 急坂 →0:45→ 三俣山荘 →1:10→ 三俣蓮華岳 →1:00→ 黒部五郎小屋 →3:00→ 黒部五郎岳 →→ 1:30中俣乗越 →0:40→ 赤木岳 →0:40→ 北の俣岳 →0:10→ 分岐点 →1:00→ 池塘 →0:15→ 太郎平小屋 →1:00→ 五光ベンチ →1:00→ 展望台 →1:10→ 折立登山口一日目(7月24日) 24日早朝自宅よりマイカー出発、折立登山口、12時登山開始、途中夏の草花など花や実のついている物が幾つも見られた。大きな木もあった。急勾配の登山道を登りきり、草原へ出ると、背の高いトーテンポール(14時3分)が石畳の左側に突き出ていた。 石を敷き詰めた幅1.5m程の道だ。所々壊れていて歩きにくいが、他と比べると整備されているコースだった。 1泊目(太郎小屋)同室となった人が顔を怪我していた。聞いてみると一昨日水晶岳方面より下りてきて雲の平で写真を写していて、足を踏み外し岩から2mほど落ちたという。雲の平山荘に宿泊して、傷の手当をして頂いたという。腫れが引かないので連泊して一日遅れでここへ来たと話した。明日は富山へ下山するので、無事に帰ったと伝えて欲しいと頼まれた。 趣味に写しているという写真がタブレットの中に整理されていた、その写真を拝見すると、全景・花・中心部拡大と大体3種類の映像にして図鑑のように属名や学名・特徴などが書かれていた。その際、植物は人間が逆さまになって立っているようだと話していた。 また、モンゴルに招待されたという写真なども合った。もしかして大学教授かなという雰囲気だった。 二日目(7月25日) 午前5時出発、山荘の中はまだ電気がついている。天気晴、今日は薬師岳を経て下山後、雲の平へ向かう。少し行くとキャンプ場に出た、テントを片付けている人の脇を抜けて沢のようになっている大きな岩の間や上を越えて進む。6時頃上から下ってきた情勢の方が、少し上に顔を怪我している人がいたと伝えてきた。彼女は太郎平山荘の救急隊に伝えるといって下りていった。私は気にしながら登るスピードを少し上げて行ったがみつからなかったが、途中にタオルがちで真っ赤になっている物が落ちていた。一人長靴で駆け下りていった若い人がいた。薬師山荘に着いたので怪我人の話を伝えると、従業員の一人が一人降りて言っていると返事した。下の小屋から無線で連絡が入っていた。7時18分山頂下の避難小屋(石室)が見えてきた。山頂到着7時38分、遠くに剣岳が見えた。 8時35分下山をして太郎山荘に戻った、休まずに小屋の写真を撮り薬師沢方面を目指した。薬師岳圏谷群の石碑があった(8時35分)。 雲の平入り口には沢山の花が咲いていた。薬師沢小屋の先の橋を渡ると直ぐに雲の平へ上る急騰を登った、天気が崩れてきて小雨交じりとなった。足場の悪い木の根の階段を休まずに登ったら、上部は草原となっていた。雨の中木道を進む。奥日本庭園15時43分、祖母岳16時3分、もう直ぐ雲の平山荘だ、到着4時半頃。 この山荘は昨年出来たということだがトイレは洋式が無く、すべて和式であった。食事後、小屋の歴史を編修したDVD映像の鑑賞会が開かれた。太郎山荘で依頼された怪我人の無事下山報告をした。 三日目(7月26日) 午前5時出発(雲の平山荘)、雨の中を進む、分岐点5時3分雨のため視界不良、鷲羽岳へのコースを変更して日本庭園のほうへ回りこんで行く。三俣への登りは急勾配で雨の中の登坂でコースは水の流れ落ちる沢となっている。足はずぶ濡れとなって進む。登り終わると直ぐ目の前に三俣山荘の文字が見えてきた。9時22分三俣蓮華岳を目指して峠を越えて行く。三俣蓮華岳山頂9時40分、悪天候のため視界不良休まず通過、11時頃雨の中ずぶ濡れで黒部五郎小屋へ入る。 宿泊手続きを済ませ着替えは乾燥室へ運ぶ、靴も乾かす。昼食にラーメンを依頼した。何日か前のテレビにこの小屋の映像が流れていたのを思い出し、小家主に長靴の話をしてみた。特別の靴ではなく下駄箱においてあるから見てみなという事だ。覗いてみるとホームセンターに売られているものと同じだった。 昼間の時間が沢山あったので、同宿となった人と話し込んだ。年齢は30代テント泊だが荒天のため小屋泊りとしたという。この時簡易ガスボンベのチャージアダプターがネットで販売されていることを聞いた。彼は素泊まりである、私は食事付きの宿泊なので朝の出発は別々となった。 4日目(7月27日) 午前6時出発 天気曇、昨日の雨と比べると安心して歩ける。黒部五郎岳山頂へ行く稜線コースを歩いた。山頂到着9時5分近くにはカールから上ってくるトラバースコースの分岐点が会った。 11時20分頃赤木岳付近通過、北の俣岳12時21分。神岡新道分岐点12時21分、13時30分太郎山が遠く見え、窪地には小さな池のあるのが分かるようになってくる。池塘群通過13時35分、少し行くと登りとなる。太郎小屋前の休憩所で少し休んでいると女性のグループがイワシのつまみを一匹くれた。 休憩後ザックを担ぐため振り上げるとパキッという変な音がした。見てみると担ぎ紐についているプラスチックの部品が折れていたので、金具の所へバンドを直接縛り付けて下山した。 登山口駐車場到着16時43分、車に乗り有峰湖ダムへ下って行くと、通行止めの看板が道路上に設置されていて前進不能であった。止むを得ず引き返し近くのレストハウスへ入った。 昨夜黒部五郎小屋で一緒だった男性が先に着いていた。もう一人同じくらいの年齢の男性が居た。部屋の数が余り空いていないということだ。私の後ろからは追い越してきた女性が3人は来ると話した。 男性組は全員マイカーなので車中泊ときめ風呂だけ入ることを希望した。入浴後、時間があったのでロビーを覗くとホールではどこかの団体が大勢で宴会中だった。 廊下に飲み物の自動販売機が置いてあったので、中を見ると日本酒のビンが打っていたので、4号ビンを一分購入した。一人で飲むのには多すぎると思い昨夜の彼を探した。 近くにBMWの来るかが止まっていた。話して一緒に飲むことにした。彼は昨年までアメリカで仕事をしていたという、コンピュータ関係の仕事のようだ。車はアメリカで購入すると日本より凄く安く買えるという。 自分で輸入手続きをして船便で運んだ所最終的に100万円ほど安く上がったという。飲んでいると支配人が厨房より宴会用に作った料理の余り物を持ってきてくれた、それを頂きながらの時間つぶしをして車中で寝た。 翌日は午前6時に起きて道路の開くのを待って出発である。6時半ダムの所で写真を写した。
三日目 雲の平から黒部五郎




















四日目 黒部五郎から下山



