平成25年登山記録
2013年9月27~30.日 槍ヶ岳~西穂高
富士登山を経て、昔登山をしていたことを思い出し、穂高へ2泊3日で行ったことを思い出した。天候不良と休日不足で登頂できず、あの時は涸沢から下山した。 心に残っていた借りを返すためリベンジを決行することに決めた。 一日目 自宅発am5:00 → 沢渡11:00 → 上高地バスターミナル pm13:00 → 明神 14:00 → 徳沢 15:10 → 横尾山荘 16:00(宿泊) 初めての単独による、北アルプス登山とあって、少し不安な気持ちを抱いて薄暗い中を自宅からマイカーでスタートした。事前に北関東道から東北道、北関東道~関越道~信越道~長野道と 乗り換えていくので地図をチェックしての準備である。高速を降りてからの上高地までの道順なども調べ昔は鎌トンネルを一般者も通過でき上高地まで行けたが今は沢渡までと言うこと になっていた。登山コースなども地図を購入して登山計画書を作り提出準備をしてきた。 40年ぶりの上高地行きである。沢渡からアルピコ交通の登山バスに乗ると30分ほどで上高地ターミナルに着いた。急いで歩く準備をし、スタートする。梓川沿いに進んでいく。昔テント を担いで来た時は雨の中を重い荷物を背中に、歩いたことを思い出す。明神を通り過ぎ徳沢で休憩し、横尾へと急いだ。横尾山荘は入浴が出来た。 また同室となった若い人は横浜から来ていて夏一杯、薬師岳山荘でアルバイトをしていたという。小屋仕舞いになったので、雲の平を経由して槍ヶ岳から下ってきたと言う話だった。 高い所は苦手なので槍ヶ岳へは登らないで下から見上げて通過したという。仕事は木彫り師であるという。 もう一人同室になった30代と思われる人は、明日は北鎌尾根を登ると話したが、この頃私は北鎌尾根という場所のところが理解できなかった。 明日のことを思い胸を躍らせながら眠りについた。 二日目 横尾山荘 6:00 → 槍沢ロッジ 7:40 → 大曲 9:20 → 天狗原分岐 10:20 → 殺生ヒュッテ 12:30 → 槍ヶ岳山荘 14:00 (宿泊)→ 山頂 15:00 → 宿 午前6時食事を済ませ出発、7時二の俣通過、7時30分槍ヶ岳の先端が杉木立の間に見えた。今日の目的地が見えるようになると、気分的に楽になってくる。この少し先からだんだんと穂先 が見え初めた。槍沢を登るころには下から見上げながら登るので楽しい、また、9月も末になっているので登山者の数もさほど多くは無い。 午後2時過ぎに槍ヶ岳山荘に到着、宿泊手続きをして部屋に荷物を置いて山頂を目指した。途中クサリ場やハシゴ場があるので、詰まっている。順番を待ちながらの登頂であった。少し頂上 の眺めを楽しみ、小屋に戻った。外で持参したおつまみでお酒を飲みながら周りの人と話した。ハーネスを着けてザイルで繋がれた10人ほどの若いメンバーが下りて来た。 ザイルに輪を作りカラビナで固定している。手作りのようであった。 小屋の人かと思う方に尋ねてみるとインストラクターが付き添っての登山と言う話だった。ザイルは山用のものは一般的なものと比べると墜落の際衝撃の危険を避けるため少し伸びるように なっていると本に書いてあったのを思い出し、聞いてみると通常の物を使っていると言う話をした。夕方になると山頂には、日没を写すため数人が、カメラを構えて残っているのが見えた。 食事は午後6時よりの最終組みになっていたので、少し遅れていったら、残っていたのはそれほど居なかった。離れた所に一人残って食べていると、3人組の人が案内されて隣に座った。同じ 服を着ていたのでどこかのレスキューかと思った。遅くまで山頂で写真を撮っていたメンバーのようであった。話しているとどうもテレビのCMに出ているような感じのメンバーだった。 振り返ってみると、初めての登山なので要領を得ない所が色々あったのかと思う。 午後7時過ぎに就寝についた。 三日目 槍ヶ岳山荘 600 → 南岳 8:30 → シシバナ展望台 9:50 → 長谷川ピーク11:10 → 北穂高岳 13:20 → 穂高岳山荘 15:35 (宿泊) 午前6時出発予定で外へ出てみると、同じ方角へ行く人はわずかで、皆下山していく人ばかりであった。大キレット越えをするのは1割ほどのメンバー?と思われた。 天気は上々である、数人の人が視界の中に見えるだけであった。抜きつぬかれつの山歩きである。始めてみる稜線の景色は何とも言えない、屋根の上を歩いているような感じだった。 大キレットを下り、北穂高を延々と登る。北穂高岳山荘前で小休止、飛騨泣きは想像以上に岩場が厳しかった。 午後4時近くにやっと穂高山荘に到着すると、途中で顔見知りになった人が声を掛けてきた。30分ほど早く着いたようである。宿泊手続きを済ませ、談話室に行くと待っていた、隣に 居る方は2組で四国から来たと言う。話している方は一人で大阪から来たとの事だ。私に何処ですか言うので茨城ですよと話した。この後話が弾み色々話した。そして、四国からの人は 高校の同級生で40年ぶりの登山で元登山部だという。 大阪の人は昨年もこのコースを歩いて雨の中ジャンダルム越えをしたという。3人は明日西穂高を目指すと言うことだった。私の予定は前穂高へなっていたがジャンダルムは上級者コース なので計画から外したのであった。様子を聞いてみると今日の所と余り変らず、少し切れ込みが深いだけだと言う。落ちたら10mも50mも同じだと言うことになり、一緒に行くことにした。 四日目 穂高岳山荘 6:00 → 奥穂高山頂 6:50 → 天狗沢分岐 9:50 → 西穂高岳 13:20 → 独標 14:30 → 西穂山荘 15:30 → 帝国ホテル前 17:45 → 沢渡 18:30 帰路 朝食を済ませ、一番足の遅い自分は一足先に出発する旨を伝えた。午前6時に山小屋を後にして出ると、直ぐにハシゴの登りとなった。7時近くに山頂に着き写真を写した。頂上には 小さな社があった。3~4人立つことができる、狭いスペースだ。隣にはヘルメットを被った3人がいた。一人が撮影を依頼されて写している所だった。横顔を見るとどこか長岡小で教頭 をしていた人に似ているので、教頭かと声を掛けた。あちらでもびっくりしたようで居たので、私はヘルメットを外し中村ですよと言った。やっとお互いが理解した。 長堀さんは元茨城大学山岳部だという、定年になったので登山三昧で暮らせると思っていたが、まだ3~4年嘱託で勤務しているということだった。今日はジャンダルム越えですよと話て 別れたが、後からすぐに追いついてきた。話したいらしく、ザックをおろしてコーヒーをご馳走してくれた。 そのうちに、今日一緒に歩くことになっている3人が追いついてきた。先に言ってるといって進んでいったので、私も急いで後を追うことにした。長堀さんも荷物を片付け直ぐ追いつい てきた。 大沢崩れの小屋跡で一休みして、長堀さんは岳沢を下るというのでここで別れた。3人は天狗の頂へ上って言った。 この辺りで、四国組みの一人が足が痛いらしく遅れ始めた。私が一番遅いと思っていたが、違うようだった。私にどんな訓練をしているのか尋ねたので特別なことはせず、堤防上の散歩 を毎日1時間ほどだと告げた。 大阪の方が先頭で後ろを気遣いながらの稜線歩きとなった。独標で記念に並んで写真を写したが、私のカメラはメモリーの異常で途中から写っていなかった。後日帰ってから写真が 欲しいので3人の誰かの連絡先を調べるため、山小屋に連絡すると、個人情報は教えられないという返事だった。 西穂高山荘には、午後3時過ぎに着いた。四国のギブアップした方が迷惑を掛けたからといってコーラを4本購入してきてご馳走してくれた。少し休んでここで別れた。3人はロープウェー で新穂高温泉に降りるということだ。私は上高地帝国ホテル前よりバスに乗るので時間も迫っているので、休まずに駆け下りるように田代橋目指して下りた。途中韓国人と思われる 子供ずれの親子とすれ違った。最終バスは午後6時であったので15分ほど前にバス停に到着できた。三日目 槍ヶ岳から穂高まで 大キレット越え



















四日目 奥穂高・ジャンダルム・西穂高から上高地へ下山











