平成25年登山記録

2013年7月16日 初めての富士登山

 4月初めに、茨城町大戸の友人の家に遊びに行ったとき、今度5度目の富士登山をするのだと話した。 登ったことがないので、私も行きたいと言ったら、一緒に行こうと話がまとまった。 登山の経験は、二十歳過ぎ、福島の山、磐梯山、安達太良山、そして山梨の八ヶ岳、と北アルプス穂高岳を目指し登った事があるが、天候不順と休日不足で涸沢のテントの中から満天の星を見上げて帰って来たことだけであった。 話を聞くといきなり3776mの登山は厳しいというので、6月になると雪も無くなるだろうということで、事前に日光男体山を登ると話した。 7月15日夕方に茨城町を車で出発した。友人の車で行ったが、高速道路の走り方が白線をまたいで走ることが多いので、私が登山口まで運転していくことにした。 富士吉田口よりの登山であるので、途中7時過ぎに夕食を食堂でたべた。時間を調整しながら5合目の駐車場へは午前3時に到着した。車中、着いたら少し休んで、明るくなるのを待ってスタートしようと話していたが、着いてみると直ぐ出発の準備を始めてしまった。  二人とも準備が終わったので、午前3時30分、へッドランプを頭につけてゆっくり歩き出した。 コースタイムは6時間なので9時半には、山頂に到着かと思いながらの歩きだった。 7合目までは何の問題もなくスムーズに進むことが出来た、7合目で休憩して歩き始めると一緒の友人の足が動かなくなってきた、少し歩くと立ち止まり、休んでしまう。  ゆっくりゆっくりと、付き合いながら登っていく、見ていると歩き始めのテンポが速すぎるために呼吸が乱れてしまうのではないかと思えた。11時過ぎにやっと9合目までたどり着いたので、着いたら直ぐ下山ということを避けるため友人をあとにして山頂へ急ぐ事とした。程なくして山頂に着き剣ヶ峰を目指した。昼食を済ませ宿に入る時間も考慮しなければならないので、午後2時には下山開始しなければならない。友人は6合目から馬で下りると言う。お鉢周りの時間が無いので途中から引き返した。1時半頃友人に電話をすると頂上で食事を済ませたと返事した。2時に須走り下山口で落ち合い下山を開始した。  6合目より馬で行くというので途中から分かれた。午後5時に五合目のお土産店へ着いた。 外で待っていると明日昇るという登山者と話す時間があった、聞いてみると明日は富士登山マラソンがあるという。そのためのボランティアだという。彼は自衛官で潜水艦の上から見た水平線の上に昇る朝日が一番感動すると話した。また、昔小学生の自分の子供を伴って富士登山をしたときに高山病のようになった子供が、体調不良の表現ができない、わが子に向かって頑張れ頑張れと励ましてしまったため、二度と山に登るということを話さなくなってしまった、失敗談を話された。 馬来るといっていた彼は遅いので電話すると、馬は5時で終わりだということだった。歩いて戻ってきたのは午後6時を廻っていた。安曇野の民宿に宿を取っていたので少し遅くなるとの連絡を入れておき、7時過ぎに宿に入った。部屋は2階だったので、足が痛くて少し階段を上るのが辛かった。  宿には40人くらいの人が食堂にいた。向かい側の方にどこの人か聞いてみると聞くと石川県から明日の富士登山マラソン参加のため来ていると言う。宿のお上の話では我々2人を除いては明日のマラソン参加者だという。女将も昨年は参加したという。 安曇野の役場前をスタートにして富士練習場の中を走って、5合目よりは一般登山道を走るということだ。参加者は2000人でボランティアが3000人という。一番早く登る人は所要時間2時間30分位と言うことだった。 翌日は安曇野の町を見学した、水田の中に突然富士の湧水が噴出し、川幅6mほどの水路が出来ていた。また、綺麗な水を利用したわさび田などもあった。 この山登りの際、疲れることも無く登ることができた自分のことを思って昔少し山歩きをしていたことを思い出し、このあとから登山を始めるきっかけとなった。

8合目より上は息が切れた

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